
補正パラメータが出るまでの「空白期間」— 令和8年熊本地震と座標変換の実務
大きな地震が起きたあと、座標変換の世界には必ず「空白期間」が生まれます。
地面はもう動いてしまった。でも、その動きを補正するパラメータはまだ提供されていない。この間に座標を変換すると何が起きるのか、どう扱えばよいのか——2026年7月28日の令和8年熊本地震を題材に、変換ツール側の視点から整理します。
補正の仕組みそのものはセミダイナミック補正(jgd2024c)とは何か・定常時地殻変動補正(jgd2024d)とは何かで解説済みです。この記事は「パラメータがまだ無い」ときの話に絞ります。
何が起きたのか(座標の側から見る)
令和8年熊本地震は2026年7月28日16時27分頃、熊本県熊本地方で発生しました(M7.1・深さ約16km・暫定値、最大震度7)。
国土地理院の地殻変動(第2報)によると、電子基準点の観測値はこう変わりました。
| 電子基準点 | 所在 | 変動 |
|---|---|---|
| 千丁 | 八代市 | 北東方向へ約87cm、約32cmの沈降 |
| 城南 | 熊本市 | 北へ約40cm |
| 泉 | 八代市 | 南へ約17cm |
座標変換の観点で重要なのは、この変動が場所ごとに違う向き・違う大きさで起きていることです。千丁は北東へ、泉は南へ。数十km離れただけで真逆の方向に動いています。
これは、地殻変動の補正が一律のオフセットでは絶対に表現できない理由そのものです。だから補正はメッシュ(格子)で与えられます。

過去の地震についての補正量を地図で見ると、震央周辺で大きく、離れるにつれて減衰する同心円状ではない、断層に沿った歪んだ分布になります。

「空白期間」に起きる3つのこと
1. 基準点成果が公表停止になる
国土地理院は2026年7月29日(30日更新)、被災地域の基準点成果の公表を停止しました。大きな変動が確認された地域とその周辺の電子基準点、および指定地域の三角点・水準点が対象です。
公表停止中は、その点の成果値を根拠にした変換の妥当性が保証されない状態になります。
2. 変換自体はできてしまう
ここが落とし穴です。座標変換のソフトウェアは、公表停止を知りません。緯度経度を入れれば、地震前のパラメータで淡々と変換結果を返します。
エラーも警告も出ない。数字はきれいに出る。でもその数字は現実と数十cm食い違っている。
「変換できた=正しい」ではないことが、これほどはっきり出る場面はそう多くありません。
3. 補正パラメータの整備が始まる
国土地理院は座標・標高の補正パラメータを整備するとしています。過去の大地震では、地震時の地殻変動を補正するPatchJGD方式のパラメータ(.par ファイル)が提供されてきました。
本稿執筆時点(2026年8月中旬)では、令和8年熊本地震に対応する補正パラメータの提供は確認できていません。 提供時期・形式は国土地理院の発表を待つことになります。
補正パラメータは「地震ごとに1枚」
ここで、地震補正パラメータの構造をおさらいしておきます。
セミダイナミック補正(SemiDyna*.par)や定常時地殻変動補正(pos2jgd_*.par)が全国を覆う1枚なのに対し、地震時地殻変動補正のパラメータは地震ごとに、その地震の影響範囲だけを覆う1枚として提供されます。
| 補正の種類 | パラメータ | 範囲 | 更新 |
|---|---|---|---|
| 地震時地殻変動補正(PatchJGD) | 地震ごとの .par |
その地震の影響範囲 | 地震のたびに新規 |
| セミダイナミック補正 | SemiDyna<年>.par |
全国 | 年次 |
| 定常時地殻変動補正(pos2jgd) | pos2jgd_<年月>.par |
全国 | 年に複数回 |
ファイル形式そのものは共通で、メッシュコードごとに補正量を並べた構造です(TKY2JGD.parの中身を読む — パラメータファイルの構造)。ある地点の補正量は、周囲4つの格子点からバイリニア内挿で求めます。
そして、地震が積み重なるほどパラメータの枚数も増えます。同じ地点に複数の地震の補正が重なることがあり、GeoConverterPro のテストポイント設計でも「重複地震テスト」というカテゴリを設けているのはこのためです(テストポイント設計を解説する)。令和8年熊本地震のパラメータが提供されれば、この地域はさらに1枚重なることになります。
空白期間の実務 — 5つの指針
1. 変換の「基準日」を必ず記録する
いつの時点の成果・どのバージョンのパラメータで変換したかを、変換結果と一緒に残す。これが空白期間をやり過ごす最大の武器です。
後からパラメータが提供されたとき、「この座標は地震前の変換だから、あらためて補正する必要がある」と判断できます。記録がなければ、その判断ができません。
2. 被災地域の変換結果に注記を付ける
納品物・社内データのどちらでも、被災地域の座標には「令和8年熊本地震の補正未適用」と分かる注記を付けておきます。数字だけが独り歩きするのを防ぎます。
3. CCQ(座標変換クオリティー)の考え方を思い出す
GeoConverterPro には、変換に使う補正メッシュの4隅が揃っているかを示す CCQ(座標変換クオリティー) の表示があります(CCQとは)。

CCQ が答えるのは「手元のパラメータで、この点をきちんと内挿できるか」です。「そのパラメータが最新か」までは答えられません。 地震直後の空白期間は、CCQ が良好でも結果が現実と合わない、という状態が起こり得ます。ツールの品質指標と、成果の鮮度は別の軸だと意識しておいてください。
4. 往復変換の再現性と、絶対精度を混同しない
地震前のパラメータで A→B→A と往復させれば、当然きれいに戻ります。しかしそれは内部の一貫性が保たれているだけで、現実の地面との一致とは無関係です。この区別はGeoCoreの高精度座標変換を支える設計思想でも触れたところで、地震直後はとくに効いてきます。
5. 急がない変換は待つ
もっとも確実な対処です。補正パラメータが出てから変換すれば、空白期間の問題はそもそも発生しません。
数字で押さえておく
被災地域で「補正しないまま変換する」ことのコストを、他の誤差要因と並べてみます。
| 要因 | オーダー |
|---|---|
| 浮動小数点の丸め | mm 未満 |
| ジオイドモデルの内挿誤差 | 数 cm |
| セミダイナミック補正の年間変化 | 数 cm/年 |
| 令和8年熊本地震の変動(震央付近) | 数十 cm 〜 約 87 cm |
| 測地系の取り違え(旧日本測地系↔世界測地系) | 約 400 m |
日ごろ神経を使っている数cmの誤差より、一桁も二桁も大きいことが分かります。補正の適用忘れは、ソフトウェアのバグより桁違いに効きます。
まとめ
- 令和8年熊本地震(2026年7月28日・M7.1・最大震度7)で、電子基準点「千丁」に北東へ約87cm・約32cm沈降の変動が観測された
- 変動の向き・大きさは場所ごとに違う(千丁は北東、泉は南)。だから補正はメッシュで与えられる
- 国土地理院は被災地域の基準点成果の公表を停止(2026年7月29日発表・30日更新)
- 座標変換ソフトは公表停止を知らないので、エラーを出さずに古い結果を返す
- 地震時地殻変動補正(PatchJGD)のパラメータは地震ごとに1枚。本稿執筆時点で今回分の提供は未確認
- 空白期間は、変換の基準日を記録し、被災地域の結果に注記し、急がないなら待つ
- CCQ は「内挿できるか」を示す指標であって、「パラメータが最新か」は示さない
出典
- 国土地理院「令和8年(2026年)熊本地震に関する情報」 https://www.gsi.go.jp/BOUSAI/20260728_kumamoto_earthquake.html
- 国土地理院「令和8年熊本地震に伴う基準点成果の公表停止について」 https://www.gsi.go.jp/sokuchikijun/R8-kumamoto-earthquake-seika.html
- 国土地理院「令和8年熊本地震に伴う地殻変動(第2報)」 https://www.gsi.go.jp/chibankansi/chikakukansi_20260728_kumamoto_2.html
- 国土地理院「座標補正パラメータファイルのバージョンアップ履歴(PatchJGD用)」 https://www.gsi.go.jp/sokuchikijun/patchjgd_version_00001.html
- 国土地理院「基準点成果の取扱い」 https://www.gsi.go.jp/sokuchikijun/seika_toriathukai.html
- 気象庁「令和8年熊本地震 ポータルサイト」 https://www.jma.go.jp/jma/menu/20260728_kumamoto_jishin.html
本記事の数値は2026年8月中旬時点の公表値(暫定値を含む)です。解析の進行により更新されることがあります。実務では必ず国土地理院の最新発表を確認してください。
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